京都在住、ヨガの先生が描くマンダラアートとコラムのホームページ。


イベントのお知らせ

Mayuko Santalum Garden

MANDARA ART EXHIBITION

+ Cafe FUDAN

佐野真祐子 マンダラアート展覧会

 

 

10月22日(土)、23日(日)、京都市上京区千本丸太町にありますCafe FUDANさんでマンダラアートの展覧会とカフェが楽しめるイベントを開催いたします。

インド行きをきっかけにマンダラを描き始め、その作業と現れる世界に魅了されました。

理想の配色を考えながら、単純なモチーフを繰り返し、円形に展開されていくマンダラは、見ているだけで明るく静かな気持ちになります。

約5年間で製作した作品を展示いたします。

みなさんの心に、暖かさとささやかなインスピレーションが起こるといいな、そんな風に願っています。

 

カフェではFUDAN店主のしほさんの菜食ランチに、菓舗カワグチさんとプチフォロさんのスイーツが楽しめます。

両日とも12:00〜18:00で開催。

カフェのみのご利用、展覧会のみのご来場もOKです!

 

秋も深まり、風の透きとおる季節。

体調よければぜひお越しください。

お待ちしています!

 

カフェFUDANさんホームページ

https://fudan.life

 


2022.5.17  Nice books 18

『JK、インドで常識ぶっ壊される』

 

いつものように本屋さんをぐるぐる歩いて、目についたこのストレートなタイトル。

インドの印象とかけ離れた、丸みを帯びた可愛らしいイラストの表紙に「何だろう」と手に取りました。

目次をパパッと読んで、なんかいい感じがしたので買うことにしました。

いつも後で気づくけど、迷わず買っている本は当たりだなあ。

 

JK、インドで常識ぶっ壊される

熊谷はるか

発行:河出書房新社

 

 

この本が書かれた時、著者は現役の女子高生。自ら「JK」と名乗る東京で育った都会の女の子です。

そんなはるかさんは、中学3年生の時にお父さんの仕事の都合でインドへ引っ越すことに。

第1章から第3章までは、何もかもが日本と違ってびっくり!な日常を面白く丁寧に描いてある印象です。目に見えるものへの観察力も素晴らしいけど、自分の心の中を表現するのがとても上手だなと思って読んでいました。

私の経験したインドと重なる部分も多くあって「そうそう」と、読んでいて嬉しくもありました。

インドではインターナショナルスクールに通っておられたようで、いろんな国の友達と過ごす日々は新鮮で、やっぱり描写が上手いのか情景がありありと浮かんできます。

章が進むにつれインドでの生活にも慣れ、人との関わりが深くなっていっているように感じます。

第4、第5章ではインドの影の部分に踏み込んでいます。

ストリートチルドレンや貧しい階層の子供達との交流は、私の知らないインドの現状を、まだ子供と言ってもいい著者の視点で知ることができました。

スラムで生活する子供達の悩みは、著者の世界観に大きな影響を与えたことは間違いないだろうと思うし、私も痛みと課題を感じました。

そして終章。

そんなインドでの生活にコロナがやってきます。

突如全てのことが打ち切られ、学校にもどこにも行けなくなり、家族で家に籠る日々。日本よりずっと厳しい状況が続いたインドの状況をリアルに知ることができました。

誰とも会えないまま、支援を続けていた子供達とも連絡が取れないまま帰国することになったはるかさんの胸中は、察するに余りあるけど、この本がこうして形になったことにはっきりと現れていると思います。

 

読み始めた当初は、すごく文章のうまい女の子が書いた日記を読んでいる気分だったのですが、巻末ではインドでの思いを大きな波として受け取って、とても心が動きました。

私にとってインド以上に遠い存在に思えた都会の女子高生も、この本を読んでなんだか身近に感じます。

あとがきの「自分自身の流動性こそが、書く意味を与えてくれる」という言葉に感動し、潤いを得ました。

 

 


2022.3.11  Love India 14

映画『聖者たちの食卓』

原題:Himself He Cooks/2011年/ベルギー

 

 

インド北西部、パンジャーブ州にあるシク教の聖地ハリマンディル・サーヒブ〈黄金寺院〉。

その黄金寺院では、毎日10万食の食事が巡礼者や旅行者のために無料で提供されています。

そこでは宗教も階級も人種も性別も関係なく、大人も子供もみんなが公平にお腹を満たすことができるのです。

寺院にやって来た人たちはボランティアとしてこの食事の提供に携わります。

毎日10万食、です。

500年間続いているのだそうです。

圧倒的なスケールの食事の準備と食事風景、そして後片付け、その様子がカメラに収められています。

ナレーションはなく、ものすごい数の人が動き、作業をする音がBGMではなく、メインの音声です。

インドではステンレスの食器を使うことが常だと思いますが、その食器をみんなで洗うところが最もけたたましく、印象的です。

なんのメッセージも語られていませんが、監督の伝えたかったものがそのまま映し出されていると思います。そして深く気づかされるのです。

生きることは食べることだ。

みんなで食べるために働いて、みんなで食事を準備して、みんなでごはん食べてるんだ。

黄金寺院の無料食堂には、すべての人が平等であるというシク教の教義に基づき、分かち合いの精神が見事に体現されています。

シク教の施設ではないですが、私もインドでアシュラムに泊めていただいた時に、食事を提供していただいていました。

その時にも感じたのですが、たくさんの人がいっぺんに動いて作業しているのに、それをまとめて指揮する人が見当たらないということです。

もちろんどこかに責任者的な人はいるのでしょうが、誰かが指示を出して全体が動いているのではなく、それぞれが勝手に動いているようで、なぜか全体として統率が取れている。これはインドへ行って初めて経験したことでした。

監督の言葉を借りると、「組織されたカオス」のようで「同時に深い静けさ」がある。

なんか人にはきっとそういう機能が付いているのだと思います。

 

アシュラムでは私も食事の準備を少し手伝いました。

この映画にも登場した、玉ねぎの皮むきをしました。

インドのおばあちゃんや、おばちゃんや、お姉さんに混じってベリベリ、ベリベリ。

日本へ帰ってからも玉ねぎに付いていた土が、指の指紋のところにしばらく残っていました。

私はそれをとても大事に思いました。

 

『聖者たちの食卓』、機会があればぜひ観てください。

インドの物流、人流、スケールのでかさ、キャパシティーの広さを見ると、心たくましく、そして優しくなれます。

 


2022.1.5  Art work 15

色のはなし

 

中学生の時、担任である理科の先生が急に私たちにこんなことを聞きました。

「俺らこうやってものを見てるけど、なんで見えてるんやと思う?」

授業の内容に全く関係のない質問に生徒一同ちょっとびっくりしてから、割と真剣に考え始めました。

「目があるから」

「机があるから」

珍しくみんな発言をし始めました。

「そう、目があって机がある。でもなんで見えてるんやと思う?」

ー?ー?ー?ー

「太陽があるから?」

「光があるから?」

 

「そう!」

先生は嬉しそうに答えました。

その後どんな話が展開されたのか全く覚えてないけど、光があるからものが見えるんだという事実に私は感動したのです。

 

光そのものに色があるのかどうか知らないし、私は知覚できませんが、光が当たって反射したものを私たちは色として認識しているのです。

だからリンゴが赤いのではなく、リンゴは赤い光を反射しているのです。

青い絵の具は青い光を反射する粒子でできているのです。

なんだか不思議です。

ものの存在って案外曖昧なのかもしれません。

だから人によって色の捉え方が違っても不思議ではありません。

そして頭の中で色はさらに変容するのです。

ずいぶん前に聞いたお話です。

2人の兄弟が、子供の頃に住んでいた家に飾ってあった絵について言い争いました。

「あの船は青で描かれていた」

「いや、緑だった」

両者譲らず、どうでもいいことなのに険悪な空気になってきたので、母親に電話をかけて確かめることにしました。

「あら、その絵ならまだ家にあるわよ、ちょっとまっててね」

そう言ってお母さんは絵を探しに行きました。

「あのねえ、この絵に色は付いてないわ」

 

この話がなんか好きで、その兄弟が色のない絵にそれぞれ色を付けて見ていたことがとても面白いと思ったのです。

 

 

もう一つ、「シンドラーのリスト」という映画があります。

全編モノクロの映像の中に一箇所だけ赤色が使われていることが話題にもなりました。

私もその映画を見たのです。どこかに赤が使われていることを知っている状態で。

非常に重く長い映画で熱心に見ました。

見終わって「あれ?赤いとこなんてなかったぞ」と思いました。

私の目は節穴なのか。

でもしばらく考えてから、そうではないことに気づきました。

私はその映画をモノクロだとも思っていなかったのです。頭の中では色が付いていたのでしょう。

映画を作った側からすれば、なんともガッカリな観客の私ですが、私は自分の頭の中を面白いなと思いました。

 

目に見える色と思いによって色付けされる世界。

色のある世界を生きてるって面白いですよね。

 

 

昨年出来上がって只今教室に飾ってある作品です。

型染め和紙と日本画の絵の具で仕上げました。

伝統的な日本の柄を使っているのに、なぜかポップな作品になりました。

 


秋の読書特集

2021.11.19  Nice books 17

『いつもひとりだった、京都での日々』

「幸福路のチー」という長編アニメで賞をとり、現在も活躍されている台湾の映画監督、 欣穎(ソン・シンイン)さん。

この本は 欣穎さんが、京都で過ごした留学生時代のことを書いたエッセイです。

留学先が京都大学だったこともあって、私の生息域だなと思って読み進めていたのですが、よく知っている京都の風景を留学生だった宋さんの目で見てみるというのは面白い体験でした。

 

いつもひとりだった、京都での日々

欣穎  光吉さくら訳

発行:早川書房

 

 

京都で大学の多い地域に暮らしていると留学生と一緒に働いたりする機会も多いのですが、彼ら彼女らがどんな思いで日本へやってきて、どんな風に京都や日本を感じているのか、とても興味がありました。

装丁に可愛らしいピンク色が随所に使われていて、本文にも桜の描写が多いので、宋さんにとって京都という場所や過ごした日々が桜の花の舞い散るイメージなのではないかと思いました。

この本全体から感じられるのは、京都で過ごした日々が特別な時間であったということです。

 

きっと行動力があるからだと思いますが、宋さんは出会いの多い方で、しかもなかなか強烈な個性のある方たちと過ごしておられます。とても詳細に物事を観察されていて、さすが映画監督、何でもない話のようでぐっと引き込まれます。

 

タイトルからは孤独に過ごしていたのかと想像してしまいましたが、ずっと京都で暮らしている私よりも沢山の人と接し、京都での生活を満喫されているように感じました。

でも留学生というのはどこか寂しい思いをずっとされているのかもしれません。故郷を離れていることもあるけど、家族のつながりの強い中国文化圏から見れば、今の日本人の生活や人間関係は良くも悪くも淡々としていて、少し寂しく感じるかもしれないと思いました。

 

この本、おそらく中国語か台湾語で書かれたものを日本語に訳されているのだと思うのですが、登場する京都の人たちはみんなコテコテの関西弁です。どんな風にこの会話を記憶されてたんだろう、と思って可笑しかったです。

話した言葉とか起こった出来事とか、その人の中で記憶され編集され紡がれて物語になっていく。映画ってどうやってつくられていくのだろうと興味がありますが、何よりも人や世界に対して好奇心を持っていることが力になるように思いました。

 

今ちょうど、京都は紅葉が進んできて、去年はほとんど見られなかった観光客の姿が目立つようになってきました。

桜の頃とはまた違った柔らかさと緊張感のある季節。

みなさんどんな思いで京都という場所を経験されているのでしょうか。

 

「幸福路のチー」はまだ観ていないので、機会があればぜひ観てみたいです。

 

 


秋の読書特集

2021.11.4  Nice books 16

『料理と利他』

また土井先生の本を選んでしまった。

でもちょっといいですよね、このタイトル。

 

料理と利他

土井善晴 中島岳志

発行:ミシマ社

 

 

コロナ禍、オンラインイベントで料理研究家の土井善晴さんと政治学者の中島岳志さんが対談されたものが、そのまま1冊の本になっているようです。

帯にもあるように、環境問題をまな板から考える、料理という行為を通して世界との関係や地球について考える、なんとも面白いテーマです。

 

最初の緊急事態宣言は厳しいものでしたから、私も急に仕事ができなくなって、ぽかーんとした時間ができてしまいました。

生活必需品の買い物と散歩が日課ののんびりとした日を過ごしました。

先のことを考えなければなんて幸せな時間なんだろうと思いました。

そして多くの人がそうであったように、家でご飯を作って食べる、ということが1日のメインイベントになりました。急がないで料理をすることはそれ自体が贅沢な時間のようにも思えました。

この本には、そんなステイホーム期間に土井善晴さんが自宅で料理をしながら(座ったまま料理されているように見える)お話をされている様子が伺えます。

政治学者なんていうと難しい話をされそうに思ったけど、中島岳志さんは南アジア地域研究をされている方で、インドのことにも仏教のことにも詳しく、とても面白い話が展開されています。

 

私たちはいつの間にか食べることにばかりに一生懸命になっていて、料理をすることはどんどん片手間になってくる。そんな風に消費することばかりを優先していたら、自分のことばかり考えるようになってしまうのかもしれないと思いました。

料理をするというのは、素材の生産者や輸送に携わる人、そして食べる人のことを考えることでもあります。

手に届いたものをどうやって美味しく食べるか考えることは、確かに環境そのものを考えることにつながります。

素材への向き合い方、扱い方はそのまま生きる作法へとつながっているのだと気づかされます。

 

難しく考えなくても、この対談はとても楽しいです。

読み終えるとちょっと心がきれいになった気がして、もうちょっと丁寧に生きよ、と思いました。

 

 

ポテトサラダは混ぜるんじゃなくて、合えるんです。ほほほ。

 

 


秋の読書特集

2021.10.14  Nice books 15

『雲と鉛筆』

みなさん、小説はお読みになるでしょうか。

私は時々読みます。ごく、時々。

本って書いた人がそのまま現れてくると思うのですが、小説はもう100%その人自身、書いた人の持っている音、リズム、色、観ている世界、流れ、頭の中の構成がそのまま出てくると思うのです。

当然ながら人の書いた小説は私の頭の中や身体感覚とは違うわけです。

いつの頃からか、私の好みにピッタリの小説って存在するんだろうか、そんなものがあったらすごいなあ、と思っていました。

あっさり出会ってしまったのです。

 

雲と鉛筆

吉田篤弘

発行:筑摩書房

 

 

私はこの本を新書で買いました。

だからこの小さい本をよく本屋さんで見つけたなと思います。

その小さい新書、薄いブルーの空にコチャコチャっと雲が描いてあります。

「雲と鉛筆」

そのタイトルで「ええやん」となぜか思いました。

吉田篤弘さんは有名な方です。著作が映画化されているような人ですが、私は知りませんでした。私は全然人を知りませんね。

 

お話自体にすごく感動するとかではないのだけど、なんかこの感じが好きなのです。

文章全体の流れだとか、名前の付け方とか、物事の大きさや高低感覚、位置の捉え方とかが、ああすごくいい、と。

随分前に大ヒットした映画「マトリックス」のええ感じとちょっと似ている気がします。

お話も世界観も全く違うけど、頭の中の場所とか、現実か現実じゃないか分からないけどそこにいる人、みたいな感じがなんか楽しいのです。

時間とか空間とかを、なんかいい感じに、そこで動いてみたくなるような感じに表現できたら素敵だなあと思います。

 

好きだなと思うものって案外理由が曖昧ですよね。

「雲と鉛筆」もピンとこない人には全く意味のないものに見えるんじゃないかなと思います。でもだから面白いのだと思います。

「自分好みの小説」ぜひ探してみてください。

きっと見つかります。

 

 


2021.8.25  Nice books 14

『たん・たんか・たん』

俳優・美村里江さんの短歌集。

短歌などというものに触れないまま生きてきた私なのですが、歌人・穂村弘さんを知ってから、その世界に少し興味を持つようになりました。

 

いつものように本屋をぐるぐる回って、「たん、たんか、たん」という音に惹かれて手にとりました。

長くテレビを観ないうちにミムラから美村里江に改名されてたのですね。

帯に抜粋されている一句を読んで、「ああ、これはいいな」と思いました。

 

たん・たんか・たん

美村里江

発行:青土社

 

 

本当によかったです。

美村さんの詠んだ700首の短歌とエッセイに、ご自身で描かれたイラスト(たぶん鉛筆画)が添えられていて、なんというか、宝物感の溢れる一冊です。

 

女優でありエッセイストでもあり、美術系の学校出身でもある美村さんの表現は、言葉遣いの上手さだけでなく、研ぎ澄まされた五感が日々の情景を捉え、繊細かつビビッドに瞬間を表し、情緒を奏でています。

 

正直に言うと、短歌や俳句というのは私には難しい。

だから読んでもあまりわからないものが多いのです。どこで区切って読むのかわからないものもあります。意味を汲み取れないものも多いです。

でも美村さんの詠んだ短歌はなぜかすっと入ってきて心が動きます。素直な人なんだろうなと想像します。

音の好みが似ているように感じて、それで共感しやすいのかもしれません。

 

短歌だけではちょっと疲れてしまいそうなところを、ちょうどいいタイミングでエッセイが挟まっています。

これがまた面白い。

女優さんの日々ってどんなんか、普通に興味があります。

でも美村さんという人がやっぱり魅力的なんだと感じます。

身体中で苦しんだり喜んだりしている姿に親しみを感じます。

 

なかなかこんなに創作意欲の湧く本ってない。

創造的であること、前向きであることの素晴らしさを再確認させてくれる、素晴らしい一冊です。

 


2021.7.8  Art work 14

関係性の海

 

家の前にたくさんアジサイが咲いたので1本いただいて部屋に飾りました。

近づいてまじまじと花を見てみて、ちょっと不思議に思いました。

どこがきれいなんだろう。

近くで見るとどの辺りが美しいのかよくわからないのです。

 

 

花としてはかなり大造りなアジサイ。

部屋の中では大きさが際立ちます。

何だかよくわからなくなったので、外へ出ていっぱい咲いているアジサイを見てみました。

きれいです。

大きな緑色の葉っぱを背景に、ピンクと紫の間くらいのでっかい花がポンポン咲いています。

そう、例えて言えば雨の日のお祭りのようです。

 

次の日、アジサイのことなんかすっかり忘れて部屋へ入って、わあアジサイだ!

雨の日のお祭りのおすそ分けが部屋の中にありました。

 

 

何かを見たり聞いたり嗅いだり、感じたことは私の中で色々な記憶と照らし合わされ、意味付けがなされます。

瞬間的にはキレイだなとか、美味しそうだなとか、可愛らしいなとか、単純な感想が出てきますが、もう少し掘り下げて見てみると、どういう風にキレイと思っているのか、どういう風に美味しそうと思っているか、何とつないで可愛らしいと思っているのかがわかります。

物でも人でも、それ自体に絶対的な価値があるのではなく、出会う場所、出会うタイミング、心や体の状態、今までに感じたこと、経験、そして何を求めて生きているかで、そのものの意味や価値は変わります。

全てのものが壮大な関係性の中で印象付けられ、意味を与えられているように感じます。

自分にとってそれがどういう存在なのか、そこに何を見ているのかを知ることは、自分の世界を広げることにもつながるような気がします。

 

ヨガでは「人は自分の内にあるものを外に見る」という風に教わります。

見たもの、聞こえる音、感じ取った情報をよく探ってみることで、自分自身を知ることにもなるし、それが私の見ている世界に反映されます。

深く感じ、感受性を育てることは、豊かに生きるための糧になるように思います。

 

 

この春に出来上がった作品です。

イギリスのお裁縫番組を熱心に見ていた影響だと思うのですが、コラージュがしたくなり、和紙を使って仕上げました。

 

 

 


2021.5.20  Love India 13 特別編

スパイスバザール訪問\( ˆoˆ )/

 

インドへ行ってご飯の美味しさに感動した私は、インド料理本を頼りにインドのカレーを作り始めました。

インドのカレーに欠かせないのはスパイスです。

調べると京都でもインドのスパイスが買えるところが見つかりました。

閑静な住宅街の中にインドから取り寄せた様々なスパイスが並ぶ、ちょっと異国情緒漂うスパイスバザール京都というお店があります。

最初は何をどの位買ったらいいか分かりませんでしたが、何度も作っているうちに定番のスパイスや自分好みのものが少しずつわかるようになってきました。

今回はスパイスバザール京都さんの訪問記をお届けします!


 

店主のプリー・ヨシコさんにお話を伺いました。

 

このお店はいつ頃始められましたか。

「6、7年前だと思います。」

 

もともと截金(きりかね)細工をしておられ、なんと曼陀羅を習いに1990年代にインドのダラムサラへ。

もちろん曼陀羅は私が描いているマンダラアートではなく仏画の、本物の方です。

そこでご主人(インドの方です)と出会われて商売の世界へと。

ダラムサラといえばダライ・ラマさんのおられる所で、当時は今ほどややこしい状況ではなく、ダライ・ラマさんにも何度も会っておられるそうです。

 

1番好きなインド料理を教えてください。

「ビリヤニかな。」

何のですか?

「マトンの。」

ビリヤニは私の滞在したハイデラバードでも名物でしたが、インド式の炊き込みご飯。ポピュラーな食べ物のようです。

辛いものが苦手なヨシコさんは、辛くなかったらもっと美味しいと思うんやけどなあ、と。

 

インドで一番好きな場所を、よければ教えてください。

「ダラムサラやね。」

「窓を開けるとヒマラヤが見えるってところがね。」

「木が多くて、何と言っても空気がいい。避暑地になってるくらいで、夏は涼しいです。冬は寒いくらい。」

 

スパイスを上手に摂ることで、体調が整うように感じます。

これは守ったほうがいいという使い方はありますか。

「薬膳と同じで、人によって合う合わないがあるし、日本とインドでは気候が全然違うでしょう。だからその人に合ってるものを摂るのがいいと思います。自分で美味しいと感じる、いいと感じるものがいいです。」

私の経験ではターメリックはあんまり沢山入れない方がいいという気がします。

「確かにそうね。お客さんでも大きい袋のターメリックを買おうとされたら、普通にカレーを作るのにはそんなにいらないですよと伝えています。薬として使うなら別だけど。他にもいろんなスパイスを入れるから、ターメリックは全体のまとめ役。少しでいいです。」

 

私は教室の後にチャイを出していて、みなさんとても喜んでくださいます。

チャイ以外のインドの飲み物でオススメのものがあれば教えてください。

「夏はラッシー。日本のラッシーは甘いでしょう。インドでは夏は塩コショウのラッシーです。夏になるとそれが飲みたくなる。」

「あと、バターミルクかな。滋養強壮にもなります。アーユルヴェーダでも使われてますね。」

 

今オススメの商品をご紹介ください。

「うーん、やっぱりギーかな。」

ギーは澄ましバター。とても高級な食べ物という印象があります。

インドで頂いたものにもギーが入っていて、おいしくて感動した覚えがあります。

「このメーカーのはね、葉っぱしか食べてない牛のミルクで作ってある。穀物を食べてない牛の。だからすごく体に優しい。便秘の人とか、虚弱体質の人にもいいです。」


 

お店の一画にハーブティーの並んでいる棚がありました。

手にとって見ていると、「それはチャクラのハーブティーだから、よかったら診断しますよ」とおっしゃってくださいました。

それでは、ぜひ。

易者でもあるヨシコさんが、右手の指を使ってどこが滞っているかを診断してくださいます。

「合ってないものを摂っても意味がないからね。」

なるほど。

 

チャクラ検査結果。

「はい、チャクラ1番。」

「地に足が着いてない。」わー。

1番の赤い箱を選ぶこととなりました。

7つのハーブティーから1つを選んで飲むということです。

いろいろアドバイスもしていただけます。

スパイスバザールへお越しの際は、ぜひチャクラ診断でハーブティーを選んでもらってください。なんか楽しいですよ。

私のところへやってきたハーブティーは、とても好きな匂いで、甘みと清涼感のある味でした。

なんか体調がよくなりそうです。

 


 

 

インドは今大変な状況だということで、ご主人も当分インドには帰れないだろうということでした。

物流もいつも通りにはいかないらしく、入ってこない商品もあるようです。

インドも日本も世界も、しばらくは辛抱が続きますね。

 

いつも明るく迎えてくださる、プリー・ヨシコさん。

きっとここへ来て元気をもらってる人、沢山いるんだろうなと思いました。

この日も雨の中、次々とカレー作りに燃えるお客さんが来店されていました。

さー٩( 'ω' )و カレー作りましょー。

 

今回買ったもの。左上から、バスマティライス、アッサムティー、パプリカ、チリ

左下からコリアンダー、ターメリック、カレーリーフ、マスタードシード、シナモン

 

 スパイスバザール京都さんのホームページはこちら

        ↓      

 Spice Bazaar Kyoto

 

 


2021.4.14  Nice books 13

『佐野洋子の「なに食ってんだ」』

まあ、なんて素敵な表紙。

食べることとネコが好きな人にはたまらないですね。

見つけてすぐに手に取りました。

佐野洋子の「なに食ってんだ」

佐野洋子

オフィス・ジロチョー(編)

発行:NHK出版

 

 

大好きな佐野洋子さん。この本は佐野洋子さんの絵本やエッセイ、小説などの執筆から「口にいれたもの」、食べ物や料理にまつわるエピソードや絵を抜粋して、事典風に編纂された面白い企画です。

たくさんの写真や佐野洋子さんの息子さんが料理を再現されたものが載っていて、見ているだけでも顔が緩みます。

 

あいうえお順でお話が載っていて、どこから読んでも楽しめます。

所々に簡単なレシピも付いていて、その中から私は「すっぱい焼きそば」を作ってみました。美味しかったです。

でもこの本は料理紹介の本ではありません。

タイトルの「なに食ってんだ」は、洋子さんが子供の時に石を舐めて、ちょっとしょっぱいなと思っていたところを、お父さんに見られてかけられた一言。

佐野洋子さんの味覚や感性を通して、日常や心の動きを豊かに体験できる、胸いっぱいお腹いっぱいの1冊です。

 

3.11の地震と津波が起こった時、私はなぜか佐野洋子さんのことを思い出していました。ああ、これを見ないで佐野洋子さんは亡くなったんだな、と。なぜそう思ったのか未だにわかりませんが、佐野洋子さんという人が私にとって大きな存在であることは間違いないと思います。

名字が私と同じだけど、わかる限りでは親戚ではないようです。残念というより、なんかよかったという気がします。憧れの人は遠くにいてほしいのかもしれません。

 

いい本と、いい小説といい絵本にたくさん出会ったような贅沢な時間が味わえます。

 

 

 


2021.3.8   Art work 13

家散歩。

このウェブサイトの壁紙、こんなデザインなのですが、

散歩中に見えるお家のカーテンからイメージを頂戴して作りました。

木造平屋建ての引き戸のガラス越しに見えているカーテン。日本っぽいようなインドっぽいような絶妙な色使いと模様が気に入って、いつも立ち止まって見ていました。

おそらく高級な布ではなく既製品のコットンだと思うのですが、長い年月をかけて色褪せ、これまた年季の入ったガラス戸の木枠の中でなんともいえない存在感を醸し出していました。

それを正確に再現したわけではないのですが、色と雰囲気だけ頂いて作りました。出来上がると色も違ったのですが。

その家は私の中でずっと「お気に入り」でした。

 

人の家を見ながら散歩するのが好きです。

たくさんの植木と古いランタンのぶら下がる庭が垣根越しに見えたり、猫の通路が家の外周に作ってあったり、バラを上手に咲かす家があったり、放置されて瓦屋根が生き物のように柔らかく窪んで今にも崩れそうだったり(台風の時本当に屋根が落ちた)、面白い家や雰囲気のある家がある場所は、なんとなく印象もよくなります。

 

私たちは普段何気に見ているものから少しずつ影響を受けていると思うのですが、情報として頭に入った後、時間をかけて消化され吸収され、私の中の想像の種へと変化していくように思われます。

お世話になっているインドの瞑想の先生のお話で「それはすでにあなたのコンディションになったのだ」という好きな言葉があります。いいと感じたものが、いつの間にか自分に溶け込んで自分自身と区別できなくなる、理想的な変化だなと思います。

私の思いや嗜好、考えや行動に誰かの家にぶら下がってる電球は関係しているのです。

 

 

先日、散歩がてらお気に入りの家を見てみたら、カーテンが新しいものに変わっていました。

白いレースのカーテン。

少しがっかりしたけど、私のウェブサイトに雰囲気が残っているから、まあいいか。

新しいカーテンもよく見るとカッコいいパターンで、引き戸の質感によく馴染んでいました。

 

 


昨年8月から描き始めた絵が出来上がりました。

今回は大きな作品になりました。

AMRITAは「甘露」という意味です。

 

 


2021.2.4  Love India 12

ターメリック!ターメリック!

インドと言えばターメリック。ターメリックと言えばインド。

初めてインドへ行った時、インドの人と握手してるうちに気づきました。右手の親指と人差し指と中指の先っちょがうっすら黄色いことを。

「ターメリック!」

インドの人は右手の指先を使って器用に食事をします。

毎日ターメリックやスパイスの入ったごはんを指で混ぜ混ぜして口に運んでるうちに自然にカラーリングされたのでしょう。

妙に嬉しかったのを覚えています。

 

ターメリックはウコン。生姜の仲間です。

インドではもちろんカレーに入っているわけですが、インドのカレーを食べると気分が良くなるのは、ウコンに含まれる成分が肝臓に良いと言われていることに関係しているかもしれません。

日本では二日酔い防止ドリンクに使われていますよね。

このターメリック、インドでは食用としてだけでなく、「何かをきれいにする」ことにも使われているようです。

ずいぶん前にインドのお土産としていただいたフットクリーム。

よく見ると、ターメリックと書いてあります。

このターメリック入りフットクリームがとても気に入って、インドへ行ったら必ず買ってきます。

匂いもいいし、つけ心地もいい。なんとなく足の裏から元気になる感じがします。

もう一つ、友人が勧めてくれたのがターメリック入り歯磨き粉。

これもすごく気に入りました。日本で売っている歯磨き粉はだいたいミントっぽい味でスースーして、口の中が泡立ってモアモアになりますが、ターメリック歯磨き粉は違います。泡立たずスッキリしていてスースーもしません。もちろん歯は黄色くなりません。むしろ白くなるようです。

聞いた話では、インドの人は掃除にも磨き粉としてターメリックを使うのだとか。

やってみたいような、やりたくないような…。

 

ターメリック、黄色い魔法の粉。

カレーのスパイスとしてはあまりたくさん入れないことも大事かもしれません。

過ぎたるは及ばざるがごとし。

美味しさも健康も過剰になると損なわれますね。


2021.1.6  Nice Books 12

『ルリボシカミキリの青』

生物学者の福岡伸一さんが新型コロナウィルスについてコラムを書かれていて、その内容に惹かれました。それをきっかけに福岡ハカセを知りました。有名な方なのに知らなかったのです。

たくさん執筆されているので、どの本から読もうかと悩んで面白そうで読みやすそうなこの本を選びました。

ルリボシカミキリの青

福岡ハカセができるまで

福岡伸一

発行:文藝春秋

 

 

自身で「福岡ハカセ」と名乗る福岡伸一さん。その「ハカセ」について一番最初に触れてあります。

『ハカセなんてすごいな、と思うかもしれないけれど、実は誰でもハカセになることができます、、、そのためには好きなことがあること、そしてそれをずっと好きでいられること。』

なんだかいい言葉です。感動します。

様々な分野、子供時代のこと、アメリカ時代のこと、大人になってからのこと、エッセイ形式の本書にはそんな福岡ハカセの「好きなこと」や面白い体験がいっぱい詰まっています。

 

生物に対する好奇心がそのまま人に対しても向けられていることが、福岡ハカセの魅力だという気がします。

自分が惹かれることを大事にして磨きをかけていくことは、人や世界と上手に関係を築くことにも役立つように思います。

大人になると夢を見ていた頃のことを忘れがちですが、「わーきれいだな」「わーおもしろいな」そんな「私の好きなこと」は身近な自然の中にあることを思い出させてくれます。

 

福岡ハカセにとってルリボシカミキリの青は、生き物の魅力をギュッと凝縮した存在なのかもしれません。その青色の濃さはなんとなく想像できて、そしてそれをとても貴重に感じることもなんとなく想像できて、嬉しくなります。

楽しい本でした。

 

さて、いよいよ福岡ハカセの本題「動的平衡」へと脚を踏み入れたいと思います!

 

 


2020.12.4  Art work 12

錯覚という力

美術大学に通っていた頃、実技の授業では作品を作って発表するということを繰り返しました。

最初の方はテーマやお題を与えられて、それにそって作品を作ります。

学年が上がると表現の方法は自由になり、テーマも自分で決めなければいけません。

好きに表していいと言われると、それが難しいことだとわかります。

表現が自由になった途端、制作が進まなくなってしまう人もいます。

自分の考えや思いも大事ですが、普段どんな風にものを見ているか、捉えているかが問われます。

 

私は時々「錯覚」を使って課題をこなしていました。

例えばテレビを遠ーくの方からぼんやり見るのです。

CMがチャンスです。唐突にいろんな画像が流れますから、それを「色」とか「線」だけで見てみるのです。

そうすると時々面白いものが現れます。

「え、すごいな、今の何だろう」

そう思って近づいて見ると、ただ商品が写ってる画面だったりする。

テレビに限らず、向こうから歩いてくる人の服でも、トレーシングペーパー越しの印刷物でも何でもいいのです。

うっかりいいものに見えちゃう。

私はこの「いかに質のいい勘違いをするか」みたいなものの見方が今も好きです。

大人になると、これはこういうものだというものの見方に慣れてきて、新鮮なものの見方をすることが減ってくるように思います。

可能性やアイデア、いいことを考えるのはネガティブなことを考えるよりずっと難しいように思います。

いいアイデアやひらめきを得るには「頭の中が自由に遊んでいる」みたいな状態が大切な気がします。

きっと子供の頃は誰でも、砂の山とか空き箱とかカーテンの柄とかで自由に遊んで、1人で関心したり、物語を作ったりしていたのではないでしょうか。

 

「こんな感じにしてみたらどうだろう」

明るく軽い動機で動けたら本望だなあといつも思います。

「錯覚」は夢をみる力かもしれません。

囚われのない視点が何か面白いものを起こしてくれるような気がします。

 


ただ今製作中の作品

 

 


2020.11.12  Love India 11

インドのお風呂

 

初めてインドへ行った時、村の方へ車で入っていくと土壁や木の柵にカラフルな色が塗られた家がずっと続いていました。

家の前にたくさん人が出ています。

そんな中の1軒、家の前の広場にアルミの大きなタライを置いて、20歳くらいでしょうか、お兄ちゃんがその中に入ってしゃがみました。片手に持ったホースから頭の上に水をチョロチョロ出しています。

「お風呂だ!」

声に出さずにそう言いました。

 

水はそれ以上強く出ないようです。石鹸っぽいものをつけて頭とか顔とか撫でています。

なんかすごくいい。

チョロチョロチョロ〜。

次に生まれてくるならインドの南の方の田舎でお願いします。できれば男で。と思いました。

だけど私は今はガチガチの日本人なので、湯船が大事。

 

インドに限らず海外は湯船の文化のないところがたくさんありますね。

むしろ湯船がある方が珍しいのかもしれません。

インドではそもそも水が貴重ですから、バスタブは余程のお金持ちの家にしかないと思います。

シャワーやお湯が出る設備も贅沢なものだと思います。

泊めていただいたアシュラムの宿泊所はありがたいことにお湯のシャワーが使えました。お湯の温度に贅沢は言えません。

最近知ったのですが、海外の湯沸しのシステムは日本の瞬間湯沸かし器と違って、タンクに水を貯めて温めるタイプのものが多く、使えるお湯の量が決まっています。だから頭を洗っている途中でお湯が水になることがありました。

「ひゃあ〜」とか言って。なぜか楽しいのですが。

ボタン1つで好きな温度のお湯をいくらでも出せる、そんな環境が整っているなんて本当に恵まれたことだと思います。

インドへ行くと日本が水に恵まれた国だということを痛感します。

 

さて、お土産にインドの入浴剤なるものを買いました。

 

粉末になっているので湯船に入れてみました。

溶けません。

かき混ぜてお湯を揉んで、

溶けません。

しょうがないのでそのままジャリジャリのお湯に入りました。

うーん、なんかすごくありがたい感じがする。なんでだろう。

エキゾチックなまさにインドの匂い。

私はこの泥色の神聖なお湯に「ブッダ風呂」と名付けました。

きっと頭が良くなって心がきれいになるに違いない。

 

秋の夜長。

入浴剤を楽しめる季節となりました。

 

ブッダ風呂は追い炊き厳禁です。


2020.10.28  Nice books 11

『ブッダが教える愉快な生き方』

NHK出版の「学びの基本」というシリーズが本屋さんに陳列されていて、「あ、安田さんが書いてる」(Nice books 06 で紹介した方)と思って近づいたら、その隣にこのタイトルを見つけました。なんだか面白そうに思えて手にとりました。

「はじめに」という前書きに、優しい言葉で「学ぶこと」について触れてありました。

ああ、教科書がこういう言葉で書いてあったら理想的だなあと思い、いい本見つけちゃったと思って買いました。

(安田登さんの「役に立つ古典」ももちろん一緒に買いました)

 

 

学びのきほん

ブッダが教える愉快な生き方

藤田一照

発行:NHK出版

 

 

著者の藤田一照さんは曹洞宗のお坊さんで、禅を学んだ後、アメリカで座禅の指導をしてこられた方です。

この本はブッダという人の生き方と、生涯学び続けるという僧侶の姿勢を、藤田さんの暖かく好奇心に溢れた言葉で、わかりやすく綴ってあります。

お坊さんの説教臭さもなく、仏教や座禅について学ぶのにとてもいい本だと思います。

ヨガは動禅と言うくらいですから、ヨガのことを学ぶのに、日本では禅のことを学ぶのが役立つ気がします。

 

第3章「頑張らない座禅」の中で、「調身、調息、調心」の話をされていますが、トップダウン式とボトムアップ式という例えをされています。

頭を使って意識的に強制的に体や呼吸や心をコントロールしようとするトップダウン式に対して、心身の方から自ら調う力を起こしていく、その働きを邪魔しないようにするというボトムアップ式の調え方は、ヨガをしていても大事に感じることです。

「ほっといたら勝手に調う」という力は、やらないといけないことがいっぱいの日常を送っていると、すぐに分からなくなってしまう気がします。

藤田さんの修行生活中の話も面白いです。「受けたもーう」といって起きるところとか。

 

私はヨガというのは「生きる姿勢を学ぶもの」だと思っています。

本書はその基本となる姿勢と、向かう先の両方を、とてもきれいに指し示してくれているように思います。

読後のすっきり感も嬉しい、ありがたい1冊です。

 


2020.10.8  Art work 11

線で描く。色で表す。

 

私が大学を受験した頃は、美術系の大学に入ろうと思うと、デッサンを学ぶ必要がありました。今もそうなんでしょうか。

鉛筆を使って題材を描いていくのです。

2H、H、F、HB、B、2B、、、、6B

使い分けられてるんだかないんだか、濃さの違う鉛筆をいっぱい並べてアスパラだの茶筒だのゴミ箱だのアルミホイルだの、様々なモチーフをなるべく写実的に描く訓練をします。

美大を目指す受験生は手の側面を真っ黒にしながらモノクロの表現と格闘する日々を送るのです。

デッサンは色を塗るという作業はせずに、ひたすら線を重ねて表現していきます。

この作業を繰り返しているうちに、ものには輪郭という線は存在しないことに気づきます。

輪郭の線というのは私たちがものを捉える時に作り出している概念なのです。

線を使って色や面を表しているうちに、ものの存在を深く感じとる力がつくような気がします。

古代の壁画なんかに牛やら人やらが描かれているのが今も残っています。昔々の人が感じ取った牛という存在が線によって表されている。

ものの存在を体で捉えることができて初めて、それを表す線が描けるようになるのだと思います。

線で何かを描くという行為にはその人の人となりが現れる気がします。

文字が1人ずつ違うように、話し方が1人ずつ違うように、線で表す絵も1人ずつ違いを持って現れます。

 

モノクロの世界で悪戦苦闘したおかげで、もう1つ、色を使って表す喜びのようなものをはっきり感じるようになりました。色で表すことは人となりというより、たった今の好み、これが美しかろう、これがカッコよかろうという美学のようなものが現れる気がします。

「好きな色に塗っていい」

それは私にとって幸せな言葉です。

 

線の表現は私を少し緊張させ、色の表現は私を自由にしてくれます。

戸惑ったり喜んだりしながら出来上がる作品に、自分自身を見て「へえ〜」と感心するのでした。

 


これは珍しく線を先に描いて進めた作品です。